手術準備と涙の手術の無期限延期…

昨日はついにコロナ新規感染者数が3000人を超えてしまいましたね。

 

買い物の回数を減らしたり、外食を控えたりして、外出の頻度を減らしていますが、いつまでも子なし専業主婦でいるというのも、思うところがあるので、そろそろ働きたいという気持ちも芽生えつつあります。

 

コロナによる経済的打撃を受けているのは我が家も例外ではないので、節約と新たな収入源の確保と、考えるべき事がたくさんあります。

 

下の記事は、コロナ第一波収束期から第ニ波が始まりつつある時期に書いた記事なので、時系列などおかしいところはお目をつぶって頂ければ幸いです😷

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

2019年12月18日に手術をする事が決まり、前回こんなスケジュールが組まれました↓

 

2020年

2月26日 リュープリン注射1回目

3月25日 リュープリン注射2回目

4月22日    リュープリン注射3回目

5月1日      麻酔科・手術内容説明(家族立ち合い)、貯血1回目

5月13日    貯血2回目

5月25日 入院

5月26日 手術

5月30日 退院(予定)

 

2ヶ月のインターバルの後、2020年2月26日、リュープリン注射1回目を打ちに行きました。

 

最初に婦人科に行って、次に検査室へ行って注射を打ちます。婦人科で先生から言われたことは「リュープリンを打って1回目で大量に出血する人がいるから心して」これだけでした。

 

そして、検査室の看護師さんにリュープリンを打つ前に質問されました。

 

看「先生から、リュープリンの副作用につい

て何か説明を受けましたか?」

 

私「はい。なんか、大量に出血する人がいるって…。」

 

看「え?それだけ?」

 

私「え???」

 

看「それも副作用の一つなんですけど、リュープリンを打つと、更年期と同じような症状があらわれます。よろしいですか?」

 

 

えーーー。リュープリンを打つと、更年期と同じような症状があらわれるって、今初めて聞いたーーー笑

 

だからといって、「じゃあ、やめます」とも言いようがないので、そのままベッドに横たわって、お腹に直接リュープリンを打ってもらいました。

 

そして、どうなったか…。

 

大量に出血しました🩸

 

私は普段の生理の出血がかなり多い方なので(1時間に1回はナプキンを交換して、日中でも夜用ナプキンしてないと間に合わないぐらいの量)、せめて、この時ぐらいは無風でいたかった…。

 

リュープリンを打った時の出血量はというと、1日あたりの出血量は普段の生理の時と変わらなかったと思います。ただ、始まってから終わるまでの期間が長かった!最後の方は、大分少なくなってきたとはいえ、2回目のリュープリンを打つ日ですら、ナプキンをして病院へ出かけたぐらいです。

 

しかし、2回目のリュープリンを打ってからは全く出血しなくなりました。もう快適!ってぐらいに何も起こりませんでした。

 

それがまさか…あんなことになろうとは…。

 

3回目のリュープリン注射の日は、4月22日でした。この時には、すでに全国的に緊急事態宣言が出されていましたが、私は「手術は予定通りするだろう」と考えていました。

 

そう思った理由としては、2つ。

 

①3月25日の時点で、全国的に学校閉鎖が行われていたが、先生から手術延期の可能性について何の言及もされないまま、2回目のリュープリン注射を打った。

 

②首都圏で緊急事態宣言が出てから(4/7)、4月22日までの間に、病院から手術延期の可能性やコロナ対応について何の連絡もなかった。

 

特に①が私の中で大きかったです。

 

もし、延期の可能性がその時点で少しでもあったのならば、「リュープリン注射をすでに1回打っている中、予定通りに手術をしないことによって、どんな影響があるか」とか、「延期した手術の日程が改めて決まった場合、そこからどうやってもう一度手術準備をしていくのか」っていう説明があるんじゃないかと思っていたんです。それがまっっっったくなかったので、「当然手術は予定通りするだろう」と思っていました。

 

また、「『コロナのため』で、予定されている全ての手術を延期してしまったら、それこそ、後々、医療崩壊するのでは?」とも考えていました。

だから、「ある程度の件数は手術を延期するだろうけど、①の状態である私の手術が、延期の対象になることはないだろう」と考えていました。

 

しかし、4月22日。「手術は無期限の延期です。今日は、リュープリン注射を打ちません。」と言われる…。泣くまい、と思っていましたが、さすがにショックで涙が出てしまいました。

 

私にとって、子宮筋腫の手術をこのタイミングですることは、今後の人生設計を考える上で絶対に譲れないタイミングでした。このブログは、すでに手術を終えて、退院して、家でのんびりしながら書いているのですが、当時を思い出してるだけで今でも涙が出てきます。

 

4月22日の時点では、夫の海外転勤から本帰国して、ギリギリ1年経っていませんでした。本帰国してから、日本での生活を落ち着けるために少し時間を取られましたが、手術に向けての動き出しは決して遅くはなかったと思います。

 

私は、夫の海外転勤に帯同するために仕事を辞めて、専業主婦になりましたが、少し慣れた頃に現地で仕事を始めました。ようやくその仕事が楽しくなったきたと思ったら、想定より早い夫の本帰国で、短期間でその仕事を辞めることになってしまいました。仕方がないとはいえ、海外で生活していた2年間で、キャリアらしいキャリアも積めず、それどころか子どもの一人もいなくて…。海外転勤に帯同するために仕事を辞めたことは後悔していませんが、現地で苦労して見つけた仕事を本帰国のために辞めなければならなかったのは辛かったですし、日本にいる時よりも自由な時間が多くて、ストレスもなかったはずなのに、まだ子どもがいないという現実も辛かったです。

 

自分より後に結婚した芸能人の妊娠・出産(もひとつおまけに第二子妊娠)のニュースを聞くたびに、「いいなあ。この人は、バリバリ稼げる仕事があるのに、簡単に子どもまで産めて。」といつも思っていました。

 

夫は、また海外に転勤する可能性があって、それがいつになるか分からない以上、少なくとも本帰国してから2年以内には子宮筋腫を取り終えて、病院での本格的な不妊治療を…とまではいかなくても、タイミング法で妊娠を目指すことに何の不安もない状態にしておきたい、というのがありました。だから、手術が決まった時点で、別の病院ではありますが、夫にも不妊検査をしてもらいました。(夫には何の問題もありませんでした)

 

5月26日に手術ができたら、少なくとも2021年からは性交渉が始められるわけですから、仮にその時点で夫の海外転勤が決まったとしても、現地でタイミングを計りながらの妊活ができるはずです。

 

だからこそ、筋腫が取れないうちに、また海外転勤が決まったら…と思うと…😱

 

こんな状態で「今しかない!」と思って挑もうとしていた手術だったので、「期限を決めることができない延期」というのはショックでしたし、何より不安で仕方がありませんでした。

 

延期の理由は「コロナウィルスの感染を防ぐため」ではなく、「コロナウィルスの流行により、マスクやガーゼなどの医療資材の流通が不安定になったため」でした。

 

ですから、コロナが終息しても医療資材の流通が不安定であれば手術はできないし、コロナが終息していなくても医療資材の流通が安定していれば手術はできる、ということです。

 

この日は、リュープリンは打たず、先生のお話だけ聞いて、家に帰り、泣きながら夫に報告しました。

 

次の診察日も当然未定で、先生から言われたことは「1ヶ月経っても生理が戻らなかったら、電話してください。次の診察日については、こちらから電話してお知らせします。」でした。

 

 

 

あーあ。

それにしても、無駄打ちとなってしまったリュープリン2本分の2万円返してくれないかな。もちろん、病院じゃなくて国が。

手術が正式に決定するまで

こんにちは。

今日は「神奈川県のコロナ患者の入院について独自基準を設けた」というニュースが、ひるおびとワイドスクランブルで取り上げられていました。

 

判定基準を見るに、神奈川県の医療機関は、「もはや逼迫…というより『崩壊の序章』になっているのでは?」と、感じました。

 

独自基準から外れた患者は、自宅療養…ということなんですよね。みんながみんな意識が高いわけではないですし、意識が高くとも頼れる人が身近にいない人、というのも存在するわけですから、無症状患者の行動や生活管理ができないというのは、なかなか怖いですね。

 

下の記事は、コロナ第一波収束期から第ニ波が始まりつつある時期に書いた記事なので、時系列などおかしいところはお目をつぶって頂ければ幸いです😷

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

2019年11月25日に長く通っていた病院へ行き、手術を受けるために、自分で探してきた大きいA病院宛の紹介状を書いてもらいに行ってきました。

 

それから、電話でA病院に初診の予約をして、診察してもらったのが2019年12月4日。それまでは、ずっと女性の婦人科の先生に診てもらっていたのですが、初めて男性の先生に診てもらいました。

 

紹介状を読んで、超音波検査・内診の結果を見た先生の判断は、「そんなに慌てて手術する必要ある?」でした。

 

正直、「え?手術の必要があると判断されたから、こうして紹介状を持ってここへ来てるんだけど…。」と思いました。

 

確かに筋腫は筋腫だけど、良性だし、先生からすると36歳は「まだ若い」ので、妊娠のチャンスはまだあるから、慌てる必要はない…のかもしれないけどさ。

 

私としては、「手術をしてもらう」と自分で探してきた病院とはいえ、長年診てもらった病院の先生の診断の方が信頼できると感じていたので、ちょっと「はぁ?」という感じでした。

 

すると、先生は手術をしなくてもいい材料を揃えるためなのか「今ここで手術をするかどうか決めるよりも、とりあえずMRIを撮って、それを見て判断しましょう。」と言う。

 

私自身も「確かに、症状を正確に知るためにはそれがベストだ」と思ったので、1週間後に指定されたMRIやCTを専門にしているクリニックへ行き、詳細な検査をすることになりました。

 

しかし、ここで一つ問題が。MRIを撮影する時に造影剤を投与するんですが、私…実は…元小児喘息患者でして…。

 

20歳を過ぎてから喘息が出たことはほとんどないのですが、結婚前に彼氏(現・旦那)の引越しを手伝ったら、あまりにも部屋が埃まみれで、10数年ぶりに喘息の症状が出てしまいました。だから2019年12月11日の時点で「5年以内に喘息の症状が出たことがある」と言うことで、「喘息患者には造影剤を投与することができません。投与しない方法で撮影するしかないけど、その場合、あまり鮮明な撮影ができないこともあります」と言われました。(だいぶ前のことを思い出しながら書いているので、ちょっとうろ覚えです。すみません。)

 

ここまで来て何も撮影せずに帰るのもなー、と考え「造影剤なし?望むところだ!」と、造影剤なしでのMRI撮影に挑みました。

 

そして、結果。

 

f:id:mi3life:20200622152748j:image

 

造影剤なしでも、超音波検査よりは確実に鮮明なお写真が出来上がりました。このバツがついてる大きな丸が筋腫です。これで7cm。

 

MRI撮影から1週間後に出た結果を見た先生は…

 

「うん、手術しましょう!」

 

即決でした。

 

私もこの写真を見せられた時の第一声が「でかっ!」だったので、もうこれは、誰が見ても妊娠を望む以上、手術は避けられない。

 

そしてそのまま話は手術の日程調整へ。

 

子宮筋腫の摘出手術は悪性の人が優先で、手術枠の数も悪性9:良性1ぐらいの差があるため、私が手術できるのは5ヶ月後の2020年5月26日。

 

大分先ですが、良性の子宮筋腫患者は少ない手術枠の争奪戦だから仕方ありません。

 

逆算して、次のようなスケジュールが組まれました。

 

2020年

2月26日 リュープリン注射1回目

3月25日 リュープリン注射2回目

4月22日    リュープリン注射3回目

5月1日      麻酔科・手術内容説明(家族立ち合い)、貯血1回目

5月13日    貯血2回目

5月25日 入院

5月26日 手術

5月30日 退院(予定)

 

このスケジュールを組んだのが2019年12月18日なので、ここから次の診察まで2ヶ月のブランクがあります。

 

しかし、術前術後、妊娠・出産後、仕事復帰後にはできないであろうことを、ちゃちゃっと片付けるには、もってこいの期間だと思えばある意味割り切ることができました。

 

しかし、見えない敵は私が人生のあれこれに考えを巡らせている時もじわじわとやってきているのである。

 

言うまでもありませんが、その見えない敵のせいで、手術前に計画していた旅行や楽しい予定は、2月以降全てキャンセルになってしまいました。

筋腫発見の経緯と手術を決意・入院先を決めるまで

この記事は、コロナ第一波収束期から第ニ波が始まりつつある時期に書いた記事なので、時系列などおかしいところはお目をつぶって頂ければ幸いです😷

 

 

ーーーーここから本文ーーーー

 

 

子宮筋腫を発見してから、手術を決意するまでに約6年の時間がありました。

 

30歳の時に、自治体で発行される「子宮頸癌検診の無料クーポン」を使って、地元の病院で検査をしたところ「子宮頸癌はないけど、良性の子宮筋腫がある」という診断が出ました。

 

そこから、当時勤めていた会社に近い病院を探し、そこで約6年間、最初は1年に1度のペースで筋腫の経過観察をしていました。

 

当時は、筋腫のサイズも3センチぐらいで、「妊娠にそこまで影響はない」というレベルだったので、あくまでも「1年に1回の筋腫の経過観察と子宮頸癌検診」という形で受診していました。

 

この6年の間に、私は結婚をして、会社を辞めて、夫の海外転勤に2年間帯同していました。

 

海外生活の間に妊娠できたらいいな、と思っていたのですが、激務の夫とタイミングが合わなかったり、そのうち私自身も海外で仕事を始めたり…と、妊娠のための万全な生活はつくれていなかったと思います。

 

ただ、その間も、一時帰国の時間を作っては、婦人科に検査に行ってたのですが、当初は「1年に1度」でよかった検査ペースが「半年に1度」に変化していき、「日本に住んでいたら、手術が受けられるのにね」とお医者さんに言われるまでに筋腫が成長していました。

 

想定よりも早く本帰国することができたのですが、そこから半年ぐらいは日本で家を転々としたり(ホテル暮らし→仮住まい&家探し→家購入)、海外転勤前に勤務していた会社を辞めた時の失業保険を受給していたり(この間は年金は自腹、夫の会社の社保には加入できないため、国保に加入)で、すぐに手術に向けて動くことができませんでした。

 

ようやく手術のために動き出せたのは、本帰国から丁度半年後。当時通っていた病院は、割と大きな病院の分院みたいなところで、手術や入院をする設備がなくて、それらの設備が整っている本院は隣県のだいぶ離れた場所にあったため、改めて自分で「自宅から近くて手術ができる病院」を探しました。

 

最初は、「遠いけど、もともと通っていた病院の本院で手術してもいいかな」と思っていたのですが、「自宅から近くないと家族がお見舞いに行きづらいし、いざという時に大変ですよ。」という先生のアドバイスに従い、自宅から歩いて行ける距離にある割と規模の大きいA病院に決めて、紹介状を書いてもらいました。

 

そうだった。手術を決めたA病院の一番の決め手は、「家から近い」でした。

 

本当は、遠くても、いつも診察してくれていた先生に手術をしてもらいたかったけど、「家族のお見舞いへの通いやすさ」のために近所のA病院にしたんでした。

 

それなのに、実際の入院生活は「コロナの影響によりお見舞い禁止(着替えの差し入れのみ、1日1名1回5分だけ可)」で、「あれー?私、なんでA病院を入院先として選んだんだっけー?」って感じでした。

 

「近くて通いやすいから」という、病院を選ぶ基準としては割とメジャーな理由で選んだのですが、さすがコロナ禍。

 

そんな当たり前も、当たり前じゃなくなってしまいました。

 

とりあえず、今後、子宮筋腫摘出手術を検討している方に言いたいのは、「ネット環境だけはしっかり準備してくべし!」ということです。

 

本当に、入院中はインターネッツさまさまでした。ありがとう、文明の利器!

他人の病床を奪うべからず

37歳子無し主婦です。

 

30歳の時に子宮頸癌検診で子宮筋腫が発見されて、6年。女性ホルモンパワーで筋腫が7cmまで育ったので、お医者さんの勧めもあって2019年の12月に筋腫摘出手術を決意しました。

 

手術予定日である2020年5月下旬に向けて、着々と準備を進めていたにも関わらず、手術1ヶ月前になって「コロナのため無期限の手術延期」となってしまいました。

 

子宮筋腫摘出手術を受けたあとは、不妊治療をすることも検討していただけに、どん底に突き落とされた気分でした。

 

「もう子どもは諦めて、再就職を目指すべきか」「月1回1週間は続く体調不良とこれからも付き合い続けるしかないのか」

手術の連絡を待つ間、ずっと悩み続けていました。

 

しかし、コロナの新規感染者数が少し減ってきた時期(今思えば、第一波の収束時期)に「当初の予定より1ヶ月遅れて手術をする事ができるようになりました」と病院から連絡が来て、無事に2020年6月に筋腫摘出の手術を行うことができました。

 

当初は、コロナ禍という特殊な環境における子宮筋腫摘出手術を記録して、同じ境遇で悩んでいる人の参考になれば…と思っていたのですが、丁度入院中に「第二波」がきてしまい、私が住んでいる街でもクラスターが発生してニュースになったりしてしまいました。

 

この状況で、「自分にとっては緊急性の高い手術、でも一般的には緊急性の低い手術」でもあった、子宮筋腫摘出手術の備忘録を公開するのはどうなんだろう…と思い、記録はしたものの公開するのはやめてしまいました。

 

そして、手術から5ヶ月経った2020年11月、再びコロナ新規感染者数が増え、「第三波」がやってきてしまいました。

 

実は、私も9月の第二波が少し収まっていた時期に、11月の3連休とGO TO トラベルを使った旅行の予定を立てていました。なんとなく、「第三波は絶対来る。でも、来るとしたらインフルエンザが大流行する時期だろう。そう考えたら、11月の三連休がGO TOを使った旅行をする最後のチャンスかもしれない」と考えていました。

 

しかし、残念ながら直前になって日本医師会の中川会長による「11月の三連休は我慢の三連休にしてほしい」という発言がありました。

 

その日の夜、夫と相談して、「旅行をしても、自分たちはコロナに感染しないかもしれない。でも、うしろめたい気持ちを抱えながらの旅行になることは間違い無いし、そんな旅行じゃ楽しめない」という結論に至り、泣く泣くキャンセル料を払って旅行を諦めました。

 

それから2週間。私の感情はテレビやネットニュースに振り回されていました。

 

中でも、私の心が一番ザワザワしたのは、神奈川県が県内の医療機関に対して、緊急性が低い手術を延期するなどして、コロナの重症患者のための集中治療室や病床の数を確保をせよと要請したというニュースです。

 

神奈川県が言ってること、もちろん理解できます。全然間違ってません。間違っていませんけど、コロナ禍に緊急性の低い手術をした身として言わせて貰うと…

 

「簡単に言ってくれてんじゃねえよ!」です。

 

手術の内容にもよるとは思いますが、緊急性の低い手術にだって、「手術をするための準備期間=投薬期間」があります。

 

手術を受けるために打った注射や飲んだ薬の副作用で、すでにヘトヘトになっているところに、手術が延期…ともなれば、それまでの投薬は無駄になってしまいます。後日、改めて手術日が決まったとしても、今度はその日に向かって再び準備(投薬)をしなければなりません。本来なら一度で済むはずだった準備期間の薬代・診察代を、手術延期を余儀なくされた患者は二重に負担しなければなりません。神奈川県は、無駄になった薬代・診察代を、患者に対して補償するつもりで病院に要請しているのでしょうか。

 

「手術延期で無駄になった準備期間の薬代・診察代を神奈川県は補償しません。病院も補償しません。患者さんの負担です。」なんて、酷な言葉を医療従事者に言わせたりなんてしてませんよね?ねえ、神奈川県さんよぉ。

 

ただ、4月に、予定していた5月の手術の延期を言い渡された私の場合(第一波)、延期理由は新型コロナウィルス感染拡大のため…というところまでは同じなんですが、正確には「新型コロナウィルス感染拡大により、マスクやガーゼなどの手術で必要な医療資材の流通が滞っているため」だったので、自治体の要請ではなく、病院側の判断という印象でした。(この件は、また改めて詳細を書きます)

 

しかし、神奈川県の場合は自治体側の緊急要請で、その目的が集中治療室や病床の確保という事なので、第三波は第一波よりも深刻な医療体制であることが、窺い知れます。

 

だからこそ、中川会長の「我慢の三連休」発言以降、「医療従事者に感謝してますよ!」アピールを高らかに謳いながら、責任の所在をなすりつけ合うようにも、ただただマウンティングをしあっていたようにも見える、グダグダで曖昧でいい加減なやりとりを長く続けていた国と某自治体の政治家を見ては怒り😡を覚えましたし、高齢者の旅行の自粛(なのか、停止なのか)が求められたのに、「感染対策に気をつけながら旅行を楽しみたいと思います」「年寄りばっかりいじめるな!」とぬかす高齢者のインタビューを見ては、ちょっと…いや大分イライラしたり😑していました。

 

あ、でも、楽しみにしていた娘さんとの旅行を目前に控えていた80歳代の女性が涙目になりながら悔しい気持ちを訴えている姿を見て、「わかる。わかるよ、私にはあなたの気持ち😔」と勝手に共感したりもしていました。

 

経済を回すことも重要だと思います。去年よりも自殺者が多い事も、ただでさえ、日本は新卒至上主義なのに、その新卒採用を控える大手企業が次々出ている事は見過ごせません。(自分が氷河期世代なので余計に!)

 

だからこそ、「少しでも経済を回したい!」と、旅行の計画を立てていたわけですし。

 

でも、「医療崩壊させないこと」と「経済を回すこと」のどちらがより優先度が高いかと言ったら、私は「医療崩壊させないこと」の方が上だと思います。「自殺未遂」という言葉もあるぐらいですから、実際に報道された自殺による死亡者数よりも多い数の人たちが、自殺を図っているはずで、死亡者数に数えられなかった、未遂で済んだ人がいるというのには、医療従事者による力も大きいはずです。「そもそも、自殺者が増えるような経済状況をなんとかすべきだ!」という声もありそうですが、自殺の理由や人の悩みって「経済」が全てではないですよね。

 

私達の日常生活には通勤・通学といった移動が欠かせないからこそ、旅行(という名の大移動)のどこに問題があるのかと言われると難しいのですが、コロナ以前から、私達は、免疫力の低下やインフルエンザなどのウイルス感染に気をつける生活を、特に冬は行ってきたはずです。

 

旅行という非日常を決行し、局地的に人が多く集まる観光地で、通勤・通学以上に負担がかかる移動による疲れ、冬の寒さと乾燥による免疫力の低下…もうこれだけで、コロナにかからずとも、体調不良になるリスクが十分できあがりです。

 

例年だったら、病院に行かず「そのうち治るでしょ」と自然治癒に任せていた風邪も、今年は「あ、もしかしたらあの時(仕事、会食、旅行etc)…」となり、念のため病院へ行こう…となりますよね。

 

もちろん、具合が悪いのなら、当然病院へ行くべきです。でも、今はこの状況だからこそ、コロナに感染する・しない以前に、そもそも病院へ行かなければならない体調にならないよう、全力で注意を払うべきです。

 

報道では、多くの医療従事者が自分たちの置かれた状況を必死で訴えています。私は、彼らが訴えている事を聞いても、それを想像することしかできないので、彼らの状況を100%完全には理解することはできません。

 

でも、自分自身が手術延期という状況に直面したことによって受けた影響が、回り回って医療従事者の現在の状況にも繋がっているのではないかと、手術から半年近くが経った今、思っています。

 

私にとっては1ヶ月の延期で済んだ手術だったけれども、病院にとってはその1ヶ月の間にできるはずだった手術ができない、つまりその分の収入が減る、結果、医療従事者のボーナス減に繋がるってことですし、

 

手術の受け入れを再開することができても、今度は手術を延期した患者さん全員の手術スケジュールのリスケ・手術準備再開にあたって見直される治療方針、新たに必要になった薬や注射の準備、患者さんへの説明連絡…私が想像できる範囲だけでも大量の仕事が増えています。

 

ちなみに、私は二度手間になった手術準備にかかった診察代・薬代は全部払いましたけど、延期していた手術日の決定と一緒に、電話で受けた手術準備再開にあたっての今後の治療方針の説明に関しては、一銭も払ってないですよ。私の記憶が確かならば、それは請求されていませんでした。つまり、担当医師がイレギュラーな業務をタダ働きしていたという話…。

 

長くなってしまいましたが、なぜ一度はやめたブログの公開を、このタイミングで公開しようと思ったかというと、理由は2つ。

 

①単純にやっぱり子宮筋腫摘出手術の備忘録として公開しようと思った

 

②コロナ感染者と比べて、あまりスポットを当てられることがなく、その実態が見えづらい「緊急性の低い手術を受けた(受けようとしている)患者」が、ここにいますよー🤗とアピールしたい

 

 

とはいえ、あくまでも入院中に書いた備忘録を書き直しはせず、そのまま公開することにしたので、現在のコロナの状況と照らし合わせてどうこうとか、そこまで深い考察は書いてません。

 

コロナ禍という非日常、人生初の手術を迎えるという非日常のダブルパンチな日々を、ただつらつらと書いてるだけです。

 

第三波のさなか、今、振り返ってみてどうこう、というのはまた、備忘録とは別に書くかもしれませんし、書かないかもしれません。

 

私が今一番訴えたいこととしては、例え「緊急性の低い手術」であったとしても、「手術を延期する」っていうのは、口で言うほど簡単に出来ることではないんだよ、ということです。

 

あと、「かかりたくてコロナにかかったわけじゃない」というのはよくわかります。本当、その通りで、かかりたくてコロナにかかる人なんて一人もいません。でも、自覚のない行動が自分や家族の健康に影響を与えるだけでなく、誰かが使うはずだった病床を奪う事にも繋がります。

 

そう言ってもね、私だっていつコロナにかかるかわかりません。でも、かかった時に「あんなことしなければよかった」とか考えることがないようにしたいな、と思っています。

 

どうせ、かかるなら「チクショー!あれだけ気をつけたのに!!」の方が、自己嫌悪にならずに済むんじゃないかと…。

 

とりあえず、この場では「他人の病床を奪うべからず」。これだけでも覚えていただければと思います。

 

では。