手術準備と涙の手術の無期限延期…

昨日はついにコロナ新規感染者数が3000人を超えてしまいましたね。

 

買い物の回数を減らしたり、外食を控えたりして、外出の頻度を減らしていますが、いつまでも子なし専業主婦でいるというのも、思うところがあるので、そろそろ働きたいという気持ちも芽生えつつあります。

 

コロナによる経済的打撃を受けているのは我が家も例外ではないので、節約と新たな収入源の確保と、考えるべき事がたくさんあります。

 

下の記事は、コロナ第一波収束期から第ニ波が始まりつつある時期に書いた記事なので、時系列などおかしいところはお目をつぶって頂ければ幸いです😷

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

2019年12月18日に手術をする事が決まり、前回こんなスケジュールが組まれました↓

 

2020年

2月26日 リュープリン注射1回目

3月25日 リュープリン注射2回目

4月22日    リュープリン注射3回目

5月1日      麻酔科・手術内容説明(家族立ち合い)、貯血1回目

5月13日    貯血2回目

5月25日 入院

5月26日 手術

5月30日 退院(予定)

 

2ヶ月のインターバルの後、2020年2月26日、リュープリン注射1回目を打ちに行きました。

 

最初に婦人科に行って、次に検査室へ行って注射を打ちます。婦人科で先生から言われたことは「リュープリンを打って1回目で大量に出血する人がいるから心して」これだけでした。

 

そして、検査室の看護師さんにリュープリンを打つ前に質問されました。

 

看「先生から、リュープリンの副作用につい

て何か説明を受けましたか?」

 

私「はい。なんか、大量に出血する人がいるって…。」

 

看「え?それだけ?」

 

私「え???」

 

看「それも副作用の一つなんですけど、リュープリンを打つと、更年期と同じような症状があらわれます。よろしいですか?」

 

 

えーーー。リュープリンを打つと、更年期と同じような症状があらわれるって、今初めて聞いたーーー笑

 

だからといって、「じゃあ、やめます」とも言いようがないので、そのままベッドに横たわって、お腹に直接リュープリンを打ってもらいました。

 

そして、どうなったか…。

 

大量に出血しました🩸

 

私は普段の生理の出血がかなり多い方なので(1時間に1回はナプキンを交換して、日中でも夜用ナプキンしてないと間に合わないぐらいの量)、せめて、この時ぐらいは無風でいたかった…。

 

リュープリンを打った時の出血量はというと、1日あたりの出血量は普段の生理の時と変わらなかったと思います。ただ、始まってから終わるまでの期間が長かった!最後の方は、大分少なくなってきたとはいえ、2回目のリュープリンを打つ日ですら、ナプキンをして病院へ出かけたぐらいです。

 

しかし、2回目のリュープリンを打ってからは全く出血しなくなりました。もう快適!ってぐらいに何も起こりませんでした。

 

それがまさか…あんなことになろうとは…。

 

3回目のリュープリン注射の日は、4月22日でした。この時には、すでに全国的に緊急事態宣言が出されていましたが、私は「手術は予定通りするだろう」と考えていました。

 

そう思った理由としては、2つ。

 

①3月25日の時点で、全国的に学校閉鎖が行われていたが、先生から手術延期の可能性について何の言及もされないまま、2回目のリュープリン注射を打った。

 

②首都圏で緊急事態宣言が出てから(4/7)、4月22日までの間に、病院から手術延期の可能性やコロナ対応について何の連絡もなかった。

 

特に①が私の中で大きかったです。

 

もし、延期の可能性がその時点で少しでもあったのならば、「リュープリン注射をすでに1回打っている中、予定通りに手術をしないことによって、どんな影響があるか」とか、「延期した手術の日程が改めて決まった場合、そこからどうやってもう一度手術準備をしていくのか」っていう説明があるんじゃないかと思っていたんです。それがまっっっったくなかったので、「当然手術は予定通りするだろう」と思っていました。

 

また、「『コロナのため』で、予定されている全ての手術を延期してしまったら、それこそ、後々、医療崩壊するのでは?」とも考えていました。

だから、「ある程度の件数は手術を延期するだろうけど、①の状態である私の手術が、延期の対象になることはないだろう」と考えていました。

 

しかし、4月22日。「手術は無期限の延期です。今日は、リュープリン注射を打ちません。」と言われる…。泣くまい、と思っていましたが、さすがにショックで涙が出てしまいました。

 

私にとって、子宮筋腫の手術をこのタイミングですることは、今後の人生設計を考える上で絶対に譲れないタイミングでした。このブログは、すでに手術を終えて、退院して、家でのんびりしながら書いているのですが、当時を思い出してるだけで今でも涙が出てきます。

 

4月22日の時点では、夫の海外転勤から本帰国して、ギリギリ1年経っていませんでした。本帰国してから、日本での生活を落ち着けるために少し時間を取られましたが、手術に向けての動き出しは決して遅くはなかったと思います。

 

私は、夫の海外転勤に帯同するために仕事を辞めて、専業主婦になりましたが、少し慣れた頃に現地で仕事を始めました。ようやくその仕事が楽しくなったきたと思ったら、想定より早い夫の本帰国で、短期間でその仕事を辞めることになってしまいました。仕方がないとはいえ、海外で生活していた2年間で、キャリアらしいキャリアも積めず、それどころか子どもの一人もいなくて…。海外転勤に帯同するために仕事を辞めたことは後悔していませんが、現地で苦労して見つけた仕事を本帰国のために辞めなければならなかったのは辛かったですし、日本にいる時よりも自由な時間が多くて、ストレスもなかったはずなのに、まだ子どもがいないという現実も辛かったです。

 

自分より後に結婚した芸能人の妊娠・出産(もひとつおまけに第二子妊娠)のニュースを聞くたびに、「いいなあ。この人は、バリバリ稼げる仕事があるのに、簡単に子どもまで産めて。」といつも思っていました。

 

夫は、また海外に転勤する可能性があって、それがいつになるか分からない以上、少なくとも本帰国してから2年以内には子宮筋腫を取り終えて、病院での本格的な不妊治療を…とまではいかなくても、タイミング法で妊娠を目指すことに何の不安もない状態にしておきたい、というのがありました。だから、手術が決まった時点で、別の病院ではありますが、夫にも不妊検査をしてもらいました。(夫には何の問題もありませんでした)

 

5月26日に手術ができたら、少なくとも2021年からは性交渉が始められるわけですから、仮にその時点で夫の海外転勤が決まったとしても、現地でタイミングを計りながらの妊活ができるはずです。

 

だからこそ、筋腫が取れないうちに、また海外転勤が決まったら…と思うと…😱

 

こんな状態で「今しかない!」と思って挑もうとしていた手術だったので、「期限を決めることができない延期」というのはショックでしたし、何より不安で仕方がありませんでした。

 

延期の理由は「コロナウィルスの感染を防ぐため」ではなく、「コロナウィルスの流行により、マスクやガーゼなどの医療資材の流通が不安定になったため」でした。

 

ですから、コロナが終息しても医療資材の流通が不安定であれば手術はできないし、コロナが終息していなくても医療資材の流通が安定していれば手術はできる、ということです。

 

この日は、リュープリンは打たず、先生のお話だけ聞いて、家に帰り、泣きながら夫に報告しました。

 

次の診察日も当然未定で、先生から言われたことは「1ヶ月経っても生理が戻らなかったら、電話してください。次の診察日については、こちらから電話してお知らせします。」でした。

 

 

 

あーあ。

それにしても、無駄打ちとなってしまったリュープリン2本分の2万円返してくれないかな。もちろん、病院じゃなくて国が。